壺齋散人の旅
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北信への小さな旅:小布施・湯田中・松代




山・落・松の諸子と北信へ小さなドライブ旅行をした。小布施、松代といった古い街並みを散策し、かつ湯田中温泉でのんびり湯を楽しもうというものである。いつものとおり松子の運転で、集合場所の新宿から関越道、上信越道を経て小布施へ向かった。

新宿と小布施の間は200キロ以上もあるそうだ。そこを三時間ばかりで駆け抜けた。一番大変だったのが運転手の松子であったことは間違いないが、実は筆者も大変な目にあった。前日から体調がなんとなくすぐれずに、背筋が寒く感じられることもある、どうやら風邪の引き始めかなと思っていた矢先に、長時間のドライブに便乗したおかげで、ひどい乗り物酔いにかかってしまったのだ。

乗り物酔い特有のぼーっとした感覚が旅行の間中続いた。風邪による体熱が酔いの感覚として顕現したのだろう。だから食欲も湧かなかったし、酒を飲んでもまずかった。年来の親しい友人たちと一緒にいるのでなければ、さっさと家に帰るところだった。

旅行から帰った後、風邪の症状は一気に悪化し、ひどい咳に見舞われるようになった。医師に診てもらうと軽い肺炎を起しているという。こんなわけで旅行から帰ってきたのは7日なのに、13日の今日になってもまだ治っていない状況なのである。

それはともかく、今回の旅行でもいくつかの収穫はあった。それを記すことで、旅の楽しかった側面を浮かびあがらせてみたい。

ひとつは、小布施で葛飾北斎最晩年の事跡に接したこと、ふたつめは、松代で徳川時代における中級武士の生活の一端に触れたこと、みっつめは、大本営のために掘られたという巨大な防空壕網に日本軍国主義の狂気を感じ取ったことだ。

小布施のことは、筆者はあまり知るところが無かった。高井鴻山のような豪商を出していることから、徳川時代の末期には北信の商業拠点のひとつだったのだろう。その鴻山を頼って最晩年の北斎が何度も脚を運んで身を寄せた。北斎が最初に小布施に来たのは83歳というから、それだけでも驚きの種だ。

片道200キロ以上もあるのだから、徳川時代には旅程は一週間に及んだだろう。80歳を超えた老人には楽な旅ではなかったはずだ。北斎はそれを、晩年のわずかの期間になんと、4度も往復したのだ。

現在の小布施は、鴻山と北斎の交流を鍵に、歴史をテーマにした観光の街づくりに励んでいるようである。我々が最初に立ち寄った小布施の中心市街には、多くの博物館、資料館、洒落た食い物屋が立ち並び、そこへ観光バスが大勢の観光客を乗せて次から次へとやってくるのが見えた。

我々は北斎亭(上の写真)という店で昼餉をなし、小布施亭というところで栗羊羹を土産に買い、北斎の記念館を訪ねた。

北斎は小布施にも傑作と称すべき作品を残していた。代表的なのは、上町、東町それぞれの屋台の天上画として描かれたもので、一対づつ計四点である。

上町のものは波濤図一対で、男波、女波と名づけられている。いづれも海面にほとばしる波の脈動を捉えたものだが、女波のほうが迫力がある。それは波とその彼方に口を開けた深淵の組み合わせが、いかにも生命の躍動を感じさせながら、女性的な調和感覚をも感じさせるからだ。

筆者などは青く塗られた深淵を女性の子宮として、波濤のひとつひとつを男性の精子として想像したものだが、これもまたひとつの鑑賞法ではないだろうか。

北斎ほど人間の性に詳しい日本人はかつて存在しなかった。そして90歳にして没する直前まで春画を描き続けたのもまた北斎老人なのである。だから筆者のこんな解釈もあながち見当違いとして排斥されるべきではないと思うのだ。

北斎が美術家として日本の芸術史上に抜きん出た存在であることは、いまでは誰も異論が無いところだ。北斎は日本人のみならず世界中の人々によっても高く評価されている。

いつかNEWSWEEKが、紀元後の世界に生きた個人の中でもっとも偉大な人物百人というものを選び出したことがあったが、その中に日本人としてはただひとり北斎の名が入っていた。選考の基準は人類の歴史上に大きなインパクトをもたらし、かつ同時代と後世に深い影響を残した人物ということになっていた。北斎は印象派を通じて西洋の芸術運動に大きな影響を及ぼしたという評価が今日定着しているが、それがNEWSWEEKの選考結果に繋がったわけなのだろう。

日本人の中にはなぜ聖徳太子や織田信長でなく北斎なのか、疑問に思う人もいるかもしれない。だが人間の真の偉大さというものは、うわべの華やかさとは、必ずしもつりあわぬもののようだ。とまれ我々日本人は同胞の中から世界に誇れる偉人を輩出できたことを以て、喜びの種とすべきかもしれぬ。

日が暮れる前に湯田中温泉の旅館よろづやに投じた。なかなか風情のあるたたずまいで、由緒のある旅館だそうだ。

だがその頃には筆者の体調の不具合がピークに達しつつあった。そんなわけで名物の桃山風呂に入る気力もなく、ただただ眠り続けたという具合だった。







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