壺齋散人の旅
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霧島:南九州の旅その一




平成25年6月14日。朝方、旅行会社から指定された時間より多少早めに当該待合せ場所たる羽田空港の旅行会カウンターに着くと、すぐ今子と会うことが出来た。そこで、横子がやってきたら、出発までの時間を利用して軽い昼食をとろうと話しながら待っていたが、横子はいつまでたっても現れない。変だなと思う間もなく待合せ時間を過ぎたので、携帯電話で横子に連絡を入れたところ、なにやら情けなさそうな声が返って来た。間違えて、成田空港に行ってしまい、いま羽田に向かっているところだが、どうも飛行機の出発時刻には間に合いそうもない。どうしたらいいだろう、というのである。

旅行会社の係員に掛け合って、一人分次の便に振り替えられないかと頼んだところ、始めは、残念ですが出来ませんと云う。その旨携帯電話で横子に伝え、新しい切符を買って次の便で鹿児島空港に来て、そこからタクシーに乗ってホテルに直行しろと言っているうちに、何とか振替ができるようになりましたと言ってきた。そんな具合で、旅のスタートはなんともしまらないものとなった。

レストランに入る余裕はなくなってしまったので、売店で弁当と缶ビールを買い求め、飛行機に乗り込んだ。飛行機は羽田12時20分発JAL1867便鹿児島行き、予定時刻通り離陸して、14時に鹿児島空港に着陸した。

現地搭乗員とバスガイドの出迎えを受け、早速バスに乗り込んだ。同乗の客は40人ばかり。バス内は殆ど満員の状態である。梅雨の頃合いというのにこんなにも旅行者が多いわけをいぶかっていると、同行者は老人ばかり、時間を持てあまし気味なのは、筆者らも同じなのだと思いあたった。

三時過ぎ、霧島神宮に到着す。ここは、霧島連峰の山腹にあって背後には高千穂の峰が聳え、ホノニニギノミコトを祭っているのは、ミコトが高千穂の峰に天下った後、その山腹にやすらったという神話の記述に従ったのだということらしい。

境内には杉の巨木が聳え立っている。霧島杉といい、樹齢800年の神木であり、南九州一帯の杉の木の祖先だとの説明書きが付されている。本殿の方も6世紀に遡る歴史を有するが、現存の本殿は300年前に作られたということだ。

境内を一周後、横子に携帯で連絡を入れると、無事鹿児島空港に着いたので、これからホテルに向かうという。ともあれ安心した次第だ。

境内のはずれに展望台があり、そこから霧島連山を望むことが出来る。この展望台には、あの坂本龍馬夫妻も九州旅行の途次立ち寄ったことがあるといい、彼らの道中姿をあしらった像が敷地の一角に据えられていた。彼らの九州旅行は、いまでいう新婚旅行の走りなのだそうだ。

4時半頃、宿泊先の霧島スパヒルズに到着す。ややして横子も到着したので、部屋に荷を下ろした後、三人で付近を散策しに出る。高原にある温泉とて、関東辺りの温泉街とは風情を異にす。温泉街というより、高原のリゾート地といった趣である。

散策しながら、何故成田なんかにいってしまったのだい、と横子に問いただすに、自分でもわからないまま、足が勝手に向かってしまったのだという。なにやら訳の分からぬ話だが、筆者にしても他人を責めてはいられない。自分もいつ同じことをやらかすか、わかったものではないのだから。

また、前回行った高千穂峡のことが話題になった。高千穂峡もやはり天孫降臨の場だと主張していたが、天孫降臨の場所が二つ同時にあるはずはない。あの高千穂峡とこの高千穂の峰とでは、どっちがいったいほんとの天孫降臨の舞台だったんだろう。われわれ素人のその場限りの談義では、無論答えの出ようはずもない。

夕食前に一風呂浴びる。ここの温泉は硫黄泉だが、白骨の湯のように黄濁してはいない。硫黄が湯に解けこまず、固形のまま浮いているばかりだ。それ故、湯自体は透明だが、匂いはまぎれもなく硫黄のものだ。

夕食はレストランでした。肉料理が主体で、メインには東坡肉(豚肉の角煮)が出てきた。刺身には、余り生きのよくないマグロの切り身が二三枚出て来ただけだ。それでもまあ、酒の肴にはなったし、腹が膨れるにも充分であった。

食後部屋に戻って持参のウィスキーを飲みながら旅談義に花を咲かした次第だ。湯に浸かり直したのはいうまでもない。







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