壺齋散人の旅
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塩釜から松島へ船で渡る:陸前小紀行その二




塩釜マリンゲート観光桟橋十四時発の観光船芭蕉号に乗る。乗務員の説明に、この船はかの芭蕉翁が奥の細道の道中、塩釜より松島に船で向かふ道筋をそのままたどるなりといふ。果たして船は、塩釜港の桟橋を出航するや、塩釜湾を東へと進み、やがて湾を出でたるところにて進路を北に変へ、松島海岸の桟橋に向かひたり。途中,馬放島、仁王島、小町島、毘沙門島などの名所を巡りたり。しかして五十分ほどして松島に至りぬ。

この道筋、といふか海路が、果して芭蕉のたどりしそれと全くたがはざるにやと思ひ、懐中より奥の細道を取り出して参照するに、塩釜から松島に渡る部分は、つぎの如くの記述なり。

「日既に午にちかし。船をかりて松嶋にわたる。其間二里餘、雄嶋の磯につく。抑ことふりにたれど、松嶋は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の湖をたゝふ。嶋々の数を尽して、欹つものは天を指し、伏すものは波に葡蔔ふ。あるは二重にかさなり三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹きたはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其景色えう然として美人の顔を粧ふ。ちはや振る神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ」

船は五十分ほどして松島に至る。松島の桟橋をおり、まず観蘭亭を訪ぬ。蘭ならで海を見下ろすところにて、野趣に富めり。ここに玉虫塗の漆器売り物として展示せらる。入手したしと思へど、近所に売り子の姿あらず。付近の土産物屋にもあるべしと思ひ、その場はやむ。

ついで五大堂に立ち寄る。五大堂は瑞巌寺の別院なりといふ。ここもまた松島の海を見晴らす絶景の所なり。海に向かひ合って立てれば、人々は海を背にして礼拝するなり。かの3.11の折には、その海から津波が押し寄せたるはずなれど、島々が防波堤となって波の勢を削ぎ、被害は軽微に済みし由なり。

五大堂の手前の道には土産物店立ち並びてあり。そのうちの一軒にて、玉虫塗りの器を見つけ、買ひ求む。

瑞巌寺は、目下本堂の修復中なり。そのかはりに、仮の本堂を設けて、そこに門外不出の寺宝を展示してあり。伊達家十二代の位牌やら観音像やらなり。いづれの位牌にも、大居士と書してあり。伊達正宗は、瑞巌寺を菩提寺となし、子孫代代の位牌をここに収むるよう遺言せしといふ。大居士とはこの世の王者に奉らるる称号なり。もしも徳川氏に知れたらば、物議をかもせしこと必定なりと人をして思はしむ。

四時頃松島海岸駅より仙石線に乗り、陸前浜田駅にて下車し、浦島荘なる旅館に投ず。できうれば松島の旅館に投ずるべけれど、混雑甚だしと思しく、手配することをえざりしなり。

浦島荘は、松島の中心部より離れ、しかも、民宿に毛の生えたる程度の粗末な宿なりしが、風呂も食事も人を満足せしめたり。料金の割には上出来といふべし。

晩間、持参せしバーボンウィスキーを氷水で割って飲む。氷水は、旅館側にてあらかじめ用意してあり。







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