壺齋散人の旅
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平泉を歩く:陸前小紀行その五




八月九日(土)陰。七時過ぎに起床。朝食を済ませし後、磊々峡を散策す。名取川中流の渓谷なり。水岩にあたってしぶきをあげ、またいくつもの沢滝となって本流に落ちるさま、すこぶる雄勁なり。

ホテル差回しの送迎バスに乗って十時に出発し、三十分余にて仙台駅に到着す。緑の窓口の自動券売機にて切符を買ひ求め、十時四十九分発の新幹線に乗り、一関にて鈍行列車に乗り換て十一時四十分過に平泉に至る。ホテルを出てよりここまで二時間足らずで来れるは、けだし幸運といふべし。

かつて平泉を訪れし折、駅前に馬車待ち構へてあり。その馬車の荷台に荷物さながら這ひ上りて中尊寺に向かひしものなれど、この日は馬車の姿を見ず。そのかはりに「るんるん」なる循環バスあり。是非なくそのバスに乗り、まづ毛越寺を訪ふ。

毛越寺は中尊寺に劣らぬ大伽藍なりしかど、今は堂宇を残さず、わずかに庭園を残すのみ。されどこの庭園、浄土式庭園としての歴史的価値によって世界遺産に指定されをるなり。対岸のかたはらに湧水あり。これ古より流れ続けてこの庭園の泉水をいまに保てるなりといふ。

続いて中尊寺を訪ふ。バスを降りて参道の急な坂道を上ること数丁。途中、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂、観音堂などの堂宇を見つつ、本堂、ついで金色堂に参る。本堂の本尊は釈迦如来の由にて、金箔塗の丈六像を安置してあり。

金色堂は鉄筋コンクリート造の覆堂の内部に収納せられてあり。本体部分の長さ縦横ともに五米半。建築物としては小規模なり。それ故前回訪れし折には、随分小さなものとの印象ばかり残りしが、この日は意外に大きく感ず。ガラス越しに見るばかりなれば、内部の詳細は弁別せざれど、仏壇の様子はよく把握せられたり。仏壇は三組よりなり、中央が清衡、向かって左手が基衡、右手が秀衡の菩提を弔ふために作られしといふ。

仏像の配置はみな同じ形式にて、中央に阿弥陀如来像、その前に勢至・観音両菩薩像、両側に六地蔵、最前列に増長・持国の両天像を配置す。また各仏壇の基壇には、三代それぞれの棺を安置せり。

その後、経堂、野外能舞台などを見物して再びルンルンバスに乗り平泉駅に戻る。バスは途中、高館義経堂、無量光院跡、柳の御所などを経巡る。このあたりはかの芭蕉翁が藤原氏の栄華を忍んで涙を落せしところなり。奥の細道よりその部分を引用す。

「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。先づ高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。康衡等が旧跡は衣が関を隔てて南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。さても義臣すぐつて此の城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり。城春にして草青みたりと笠打ち敷きて、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
   夏草や兵どもが夢の跡
   卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良

兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲みて、甍を覆うて風雨を凌ぐ。暫時千歳の記念とはなれり。
   五月雨の降りのこしてや光堂」

平泉駅前の芭蕉館なる蕎麦屋に入り、生ビールを飲みつつ蕎麦を食ふ。なかなか美味なりき。十五時二十六分発の鈍行列車に乗り、一関にて新幹線に乗り換へ、十八時頃東京駅に戻る。







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