壺齋散人の旅
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淡路人形浄瑠璃を見る




六月一日(土)晴れて暑気を催す。起床後朝風呂につかる。浴室に入ろうとすると、五歳くらいの女の子がひとりでいるのが見えた。小生のことを盛んに気にしている様子だ。さては女風呂に迷い込んだかと思っているうち、露天風呂のほうから父親らしい男が入って来た。そこで得心して湯につかった次第だ。朝飯は、二階の大食堂でとった。旅のこととて、朝からビールを飲む。これがまた、すこぶるうまい。

さて、淡路島といえば人形浄瑠璃だ。淡路島に来て人形浄瑠璃を見ないわけにはいかない。かの谷崎潤一郎も、人形浄瑠璃を見たいがために、わざわざ淡路島まで足を運んだというし、その際の見聞を小説「蓼食う虫」で披露している。小生も又、日頃人形浄瑠璃に関心を寄せる者として、今回の淡路島への旅では、是非見たいと思っていた。

人形浄瑠璃は文禄・慶長の頃に、淡路の人形師引田淡路掾が、操り浄瑠璃として始めたとされるように、人形浄瑠璃の歴史における淡路島の寄与は大きい。その後人形浄瑠璃は、竹本座や近松門左衛門の活躍により新たな時代を迎えるのであるが、淡路島の人形浄瑠璃は、古浄瑠璃を受け継ぎながら、今日まで芸能としての命脈を保ってきた。非常に長い伝統の上に立っているわけである。

そんなわけで小生らは、海上ホテルを辞したあと、淡路人形座に直行した。人形座はホテルから一キロほどの距離のところにあった。コンクリートむき出しの建物で、円形にちかいシルエットだ。この劇場で、一日三番の公演が行われるという。公演とはいっても、観光客用にアレンジされたもので、本格的な浄瑠璃とはいえないが、それでも人形浄瑠璃の雰囲気の一端は味わえるのではないか。

公演に先立って、人形の使い方についての説明があった。人形は頭の部分に棹を差し込んだ作りで、その棹に人形の表情にまつわる様々な工夫が施されている。その人形に着物を着せて、一人の人間をあらわす。人形遣いは三人で、一人は右手を棹の部分にあて、左手で人形の右手を動かす。二人目は人形の左手を動かし、三人目が人形の脚を動かす。中心の人形師は直面の姿であるが、その他の二人は黒い衣を頭からかぶっている。

人形浄瑠璃の醍醐味は、人形の表情にあるという。その表情の演出の仕方を詳しく説明してくれた。棹に付随したいくつかの紐を引くことによって、様々な表情が生み出される。ある紐を引くと人形はうつむき、ある紐を引くと人形が泣いたり怒ったりする。その表情の豊かさが、人形浄瑠璃の生命線になっているわけで、人形の表情を情緒豊かに演出できなければ、見る者に飽きられるに違いない。徳川時代以前から現在にいたるまで、飽きられずに伝えられてきたのは、人形の操り方の妙によるのであろう。

この日の公演は、本朝二十四考から、狐火の段。上杉謙信と武田信玄の確執をテーマにしたもので、謙信の娘八重垣姫と信玄の息子勝頼の恋を描いたものだ。仲の悪い親のもとに生まれた男女が悲恋に泣くというのは、シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」を想起させる。だがこの曲では、若い男女が死ぬことはない。八重垣姫は、大きな試練を乗り越えて、勝頼と結ばれるようである。その辺が、シェイクスピアと日本の浄瑠璃作家の違いで、日本では、若い男女が試練に耐えず死んでいくことは、観客の嗜好に反していたのであろう。



ともあれ、舞台上には、館の作り物が据えられ、その影に義太夫語りと三味線使いが座る。義太夫語りはかなり広い音域を自在に語っていた。なにしろ男の役も女の役も一人でこなすとあって、広い音域の声を持たないでは務まらないのだ。その義太夫の声に乗るようにして、八重垣姫がさまざまな表情の仕草をする。この劇には、姫と狐の他は、誰も出てこないのだ。実質上八重垣姫一人に、劇の進行をゆだねている。その様子を動画に収めたいところだったが、動画はもとより、上演中の写真撮影は一切禁止だというので、上演前の舞台の様子を撮影してみた。この写真がそうである。

また、劇の終了後、恵比寿舞の恵比寿人形が披露され、その人形と一緒に記念撮影することが許された。冒頭の写真は、その際にとったものだ。恵比寿舞というのは、目出度い舞のことで、能で言えば、翁に相当するものらしい。

全部合わせて四十五分くらいの長さだったが、人形の操り方の説明といい、三味線と義太夫のとりあわせといい、人形そのものの動きといい、見たり聞いたりすることで、なかなか有意義な時間を過ごせた。昨日の猿たちとはまた、別の魅力に感じ入った次第だ。






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