壺齋散人の旅
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金毘羅宮に参る




淡路人形館を辞したのは午前十一時頃のこと。ただちに車を飛ばして徳島に向かう。大鳴門橋を渡るに、右手には瀬戸内海、左手には鳴門の海を望む。鳴門の海には、大小の渦のまくのを見た。この海域に渦がまきやすいのは、潮流と地形が独特の組合せを呈しているからだという。狭い海峡に早い潮の流れが渦を作るということらしい。渦の大きさは直径十五メートルに達することもあるという。

徳島からは、まっすぐ琴平をめざし、午後一時過ぎに金毘羅宮の参道下に着いた。投宿先の鶴屋旅館は、参道の入り口にある。そこの駐車場に車を停めて、隣の売店で杖を借り、うまいうどん屋を紹介してもらって、そこで昼餉をなす。讃岐名物ぶっかけうどんに、とろろをのせたものを註文する。うどんには腰があって、なかなかうまい。ビールのつまみとしても申し分ない。

金毘羅の階段下に至ると、傍らの石柱に、宮まで全七百八十五段あると記されてある。小生はどういうわけか、三百六十五段と覚えており、それでも上り下りするのは大変だと思っていたので、七百八十五段もの石段を果たして無事に上り下りできるやら、大いに不安はあったのだが、思いきって上って行くことにした。駕籠で上り下りするという手もないわけではないが。これは全段の三分の一程度を上り下りするだけで、往復八千円もするというので、やめることとした。もし途中でバテたら、お世話になることにしよう。



あえぎあえぎ、なんとか頂上までたどりつくことができた。その頂上直下の石段がもっとも急な勾配で、最後の元気を振り絞って上った次第だ。麓の土産屋で借りた杖が効力を発揮したこともある。その杖をつきながら、のんびりと上ったのがよかった。途中土産物屋を覗いたりして、家人のために花柄のハンカチセットを買ったりもした。「困った旦那です」という文字を染め抜いたTシャツがあり、買おうかどうか迷ったが、これがもとで自分の旗色が悪くなるのを恐れて、買うのをためらった。

金毘羅宮の前で記念撮影をしようとしたら、宮を正面から写してはダメだと言う。斜めから写すのはさしつかえないようなので、その角度で記念撮影をした。下りは上り以上に気をつけながら、慎重に下りた結果、たいした不都合もなく下りることができた。

旅館付近のコンビニで、氷とつまみを仕入れ、宿に投じた。部屋に案内されるや、まづ温泉につかった。浴室には二三人の高校生がいたが、みな全裸の姿を隠そうともしない。むき出しになった男根が、まだ幼さを感じさせる。ギリシャ彫刻の若者像を見るようである。ギリシャ彫刻の若者像は、あのダヴィデを含めて、可憐な男根をつけているものだ。ダヴィデはミケランジェロの作だが、その作風はギリシャ彫刻を彷彿させる。

その後我々の部屋に集まって、ウィスキーのハイボールを作って飲んだ。これがなかなかうまい。つい量がかさんで、夕食前にできあがってしまったほどだ。そのウィスキーのハイボールを飲みながら、小生は持参したタブレット端末をワイファイにつないで、香川県の地図を表示し、そこに善通寺、丸亀城、白峰をマークして、明日はここを巡らんと提案した。



夕食は玄関ロビー傍らの部屋で振る舞われた。料理は鯛尽くしと称して、鯛の刺身やら鯛鍋、果ては鯛めしまで振る舞われた。酒は地元の銘酒金陵。金陵とは南京の古名だが、ここでは金毘羅の陵を意味するつもりらしい。参道の入り口に金陵の販売店があって、そこで試飲をさせるというので立ち寄ったのだったが、本日は会社の都合により打ち止めといわれて残念に思っていたところ、旅館ではその金陵の酒を何種類も用意していたので、我々は心置きなくそれらを味わった次第である。

この部屋は、旅館の正面広場に面していて、窓越しに高校生たちが隊列を組み、点呼する様子が見えた。小豆島の高校の弓道部の生徒という。二十名ばかりいたが、そのうち半分は女子である。みな体格がいい。小豆島からは船でやって来て、この地で開催される弓道の大会に参加するそうだ。あの二十四の瞳の子どもたちも、小豆島から金毘羅まで修学旅行にきたものだったが、小豆島の人びとにとって、金毘羅様は身近な存在なのだろう。

ややして一団となって駆けだしたが、仲居によればこれから金毘羅宮の頂上まで走って上り下りするそうである。それから二十分程たったところ、高校生の一団がやってきた。小生は、先ほどの小豆島の高校生が戻って来たと勘違いし、その余りの速さに舌を巻いた次第だったが、実はこれは、別の団体で、西城高校の野球部だという。そのかれらも金毘羅宮まで上り下りし、要した時間はわずか三十分だったそうだ。この年齢の若者には、力がみなぎっており、それがかれらの万能感につながるのだろう。そこに小生は命の勢いを感じ、老人たる己の身を顧みて、索然とした気持ちになったものだ。

食後、それぞれの部屋に引き上げた。その途中、西城高校の生徒たちと出会ったが、みな大声で挨拶をする姿がなかなか好もしい。はやすでに十分飲んではいたものの、まだ瓶の中に残っているウィスキーを片付けてしまおうと、落子とともに綺麗になくなるまで飲んだ。山子夫妻はそのまま寝てしまったらしい。






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