壺齋散人の旅
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山陽紀行(その五):しまなみ海道



(瀬戸内海クルーズ船)

六月十日(金)朝方より快晴にて暑気甚だし。昨夜と同じ部屋にて朝餉を供せらる。窓より海を眺むるに、折から引き潮の底にあたり海底ありありと見えたり。これならば人が浸かりても背がたつべし。仲居の老嫗が言ふには、引き潮の折にはこの海に下りて胸まで水に浸かりながら熊手様の道具もてあさりを掬ひ取る客もあると。余はいはゆる金槌なれば、大事を考慮して海に浸かることはせず。他人のとりたるあさりを味噌汁にして食ふのみなり。

この日は自転車に乗りてしまなみ海道を走らんと、九時過ぎに宿を辞し駅前の観光センターにて自転車を借る。電動自転車は既に払底せりとて普通の自転車を借る。なにやら嫌な予感せしが背に腹は変へられぬなり。この自転車ごと十時半発のフェリーボートに乗り込み(乗船料千三百五十円也)四十分ほどして生口島の瀬戸田港に至る。そこより因島、向島をめぐりて尾道に戻らんとの計画なり。


(生口橋)

見かけたる人に道を聞き、島の市街地をとほり耕三寺なる唐風の寺の前を過ぎやがて左に海を望みながら走る。天よく晴れ渡り遠くの島影も明瞭に見えたり。十二時半頃生口橋のとっつきに至る。生口橋は生口島と因島を結ぶ橋にて全長約八百メートル、海抜五十メートルなり。この高さを自転車を漕ぎて上るは一苦労なり。電動自転車ならぬ苦労をはや思ひ知らされたり。

因島に下りたるは午後一時近くのことなれば適当な食堂を見つけて入らんと思ひしにそれなりの店を見ず。空腹はともかく疲労やや亢進し、坂道を漕ぎ上るが苦痛になりぬ。この島は坂道が長く続くなり。なんとか気分を奮ひ立てて自転車を漕ぎ続け、因島大橋の取りときにたどりついたるは午後二時半近くのことなり。当初の計画にてはこの時間には尾道に帰着せる心積もりなりしに、まだ因島なり。次第に気分のあせるを覚えたり。


(因島大橋)

因島大橋は因島と向島を結ぶ島にて全長約千三百メートル、海抜はやはり五十メートルあり。二段式にて自転車道は下段に設けられ全体が鳥籠のやうなり。何故か高度感あり、高所恐怖症気味の余にはいささか冷や汗ものなりき。

向島を縦断するうち疲労極限に達し、つひに自転車ごと転倒す。英生余の倒れたる様子を不吉さうな目もて見守る。余渾身の力を振り絞って立ち上がり、再び自転車を漕ぐ。そのかひあって三時二十分頃に尾道行きのフェリー乗り場に到着せり。その時には満身の力を使ひ果たし疲労困憊意識朦朧の状態に陥りゐたり。その状態いますこし長引きたらば行路病人になれるところなりき。


(フェリー上より尾道市街望見)

フェリーは三分ほどにて尾道駅前の船着場に到着す。乗船料は自転車込で百十円なり。渡船の短い間にも正面に尾道の市街のさまを眺め渡すことを得たり。

三時半過ぎに尾道駅に至り、切符を購入したる後付近のラーメン屋に入って生ビールを飲み尾道ラーメンを食ふ。ラーメンは昨日の店と大してちがはざりしが生ビールは心底生き返る心地してうまかりき。

山陽線にて福山駅に至り、そこより三時五十九分発の新幹線のぞみ号に乗り込みぬ。車中こたびの旅行を振り返って語るらく、今後は自転車を漕いで坂道を登らんなどと馬鹿げた考えはやめにせうや、と。







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