あひるの旅日記
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旧跡めぐりのサイクリング:伊豆長岡の旅その三




朝風呂を浴びると八時から朝食となった。昨夜と同じ個室だ。席に着くと静ちゃんが頻りと昨夜のことを気にする。わたし、寝相が悪くなかったかしら、お尻を出したりして、みっともない格好で寝ていなかったかしら、と頻りにいうのだ。そこでオスのあひるたちは声をそろえてこう言ったのだった。いいえ、そんなことなかったですよ、お行儀よく寝ていましたよ、と。

食後はサイクリングをしながら、周辺に散在する名所旧跡を巡り歩こうということになり、タクシーを呼んでもらって伊豆長岡駅まで行き、そこでレンタサイクルを借りた。静ちゃんと少尉は電動自転車、横ちゃんと今ちゃんはマウンテンバイク、筆者は普通の足こぎ自転車だ。

まず反射炉の遺跡を訪ねた。幕末の砲術家として有名な江川太郎左衛門が作ったものだ。近づくと二台の煙突が立っているのが見え、傍らに「反射炉を世界遺産に登録しよう」と書した幟がたっている。へえ、こんなものでも世界遺産になれるのかね、とちょっぴり意外な気がした。

入場切符を買って中に入ると、ボランティアのおじさんが迎えてくれて、まずビデオを見なさいと言われた。それを見ると反射炉の構造がよくわかるのだそうだ。なるほど、いわれたとおりよくわかった。反射炉とは直火で鉄を溶かすのではなく、炉の中に火を送り込み、それが天井や側壁に反射した熱で、鉄を溶かすのだそうだ。反射熱を用いることから反射炉という、その理屈がよくわかった。

ついで現物を案内してくれた。炉の内部は煉瓦でできているが、なにしろ千七百度もの高熱になることから、よほど丈夫な煉瓦でなければ持たない。ということで、耐熱煉瓦に適した土を探し出すのが大変だったそうだ。鉄を溶かすには千七百度の熱が必要だけど、人間やあひるを焼くにはせいぜい九百度で足りるんだ、と筆者が言うと、他のあひるが感心した。

反射炉の傍らには、ここで作った大砲が展示されていた。同じものが靖国神社にもあるそうだ。そういえば、靖国神社は戦争博物館でもあるから、ここで作られた大砲が展示されているのは不思議ではない。

次いで、蛭が小島というところに行った。頼朝が流されたというところだ。当時は狩野川の中州になっていたそうだが、いまでは、川の流れが変わって、普通の土地になっている。その一角に頼朝と政子が仲良く並んで立っている銅像がある。二人の視線の作には富士山が見える数だが、この日は炎暑のために靄がかかり、富士山は見えなかった。この二人が出会ったとき、頼朝は三十一歳、政子は二十一歳だったと書いてある。

ここにも、親切なボランティアさんがいて、二人のことについて、色々とエピソードを紹介してくれた。政子は嫉妬深かったといわれているが、それは二人の結婚観の相違からきているのです。頼朝のほうは、源氏の御曹司として複数の妻を持つのは当然と考えていたのに対して、政子は田舎侍の子だから、一夫一妻が当たり前と考えていた。だから、頼朝が他の女に手を出すことは、そもそも理解できなかったのです、というのだ。

更に自転車をこいで田舎道を走り、江川太郎左衛門の屋敷というのを訪ねた。江川太郎左衛門の一族は代々韮山の代官職を勤めていたこともあって、広大な屋敷を構えており、邸に隣接して、代官の役所があったというが、いまは、私邸のみが残されている。

ここでもやはり、親切な女のボランティアさんが近づいてきて、色々と説明してくれた。この屋敷は国の重要文化財に指定されているのですけれど、国はただ指定するだけで、財政的な援助は全くしてくれません。そこで江川の子孫が私費を以て維持にあたっているのですけれど、半端な費用でできることではなく、大変な出費を強いられておりますの、と同情交じりに紹介してくれたのだった。

ここの見物を終わる頃に、ちょうどお昼時になったので、目の前にあるお蕎麦屋さんに入った。すると顔色の好いおばあさんがいて、注文したお蕎麦を茹でている間に、いろいろと話しかけてきたのだった。

あなたがたは、女一人に男四人で、とても珍しい組み合わせだけど、いったいどんな間柄なの、とまず聞くので、仲良し小良しの間柄なの、と静ちゃんが答える。それにしてもあなたは幸福そうね、だって男の人に誘ってもらって一緒に旅行ができるなんて、すてきだわ。わたしは数年前に亭主に先立たれて独りぼっちになって以来、誰からも旅行に誘ってもらえず、さびしい思いをしてますの。だからあなたのように、人様から誘ってもらって旅行ができるなんて、とてもうらやましいわ。

すると少尉が口を挟んで、それなら僕が一緒に行ってあげましょう、という。御婆さんは喜んですっかりその気になってしまったけれど、少尉、本当に大丈夫なのかい、と心配になった次第であった。

ところで、少尉には息子夫婦がいるけれど、まだ子供ができないとのこと。そこで、作り方を知らないのかもしれないから、よく教えてやったほうがいいよ、と筆者が口を挿むと、いや、それよりも、自分自身で子どもを作り、それを息子夫婦の養子にした方が手っ取りばやい、などと言い出す始末。それを聞いていたおばあさんは、私ではお役に立ちませんよ、と言いたげな表情をした次第であった。

そうこうしているうち、注文したお蕎麦が出来上がったので、みな銘々に自分の割り当て分を食べたのであった。(写真は蛭が小島の頼朝と政子)







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