あひるの旅日記
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高雄市内観光:アヒルたちの台湾旅行その二



(高雄港)

六月二十日(土)六時に起床して朝食を済ませると、八時頃観光案内のバスが迎えに来た。ガイドは蔡さんという女性で、我々のほか二組六名が同乗すると言う。大型バスに十一人だから、ゆったりと座れる。

まず三鳳宮というところを訪れた。これは仏教と道教の寺院が同居しているという不思議なところだ。仏教空間には釈迦三尊像が祭られ、道教空間には中国のさまざまな聖人たちが祭られている。小生は中国の宗教文化にはあまり造詣がないので、ただただ美術品を見るように、罰当たりな態度でそれらの聖人たちに接した次第であった。

ついで地下鉄の美麗島駅に案内された。ここは昨日訪れた六合夜市の最寄り駅だ。無論、昨夜も立ち寄っている。昨夜はただの地下鉄の駅でしかなかったこの駅の構内が、ちょっとしたアートの展示場なのだそうだ。コンコースの広場の天井に、モザイク絵画を思わせるシュールな絵が描かれている。それらの絵をガイドがいろいろと説明してくれたのだが、小生にはあまり面白く思われなかったので、左の耳から右の耳へと聞き流した次第。

次に寿山を訪れた。この山は別名を打狗山というのだそうだ。打狗は、現地の言葉で「たーかお」と発音するが、これが高雄の町の名称の起源となった。つまり、この町はそもそも「打狗=たーかお」と称していたものを、日本人がそれでは町の名がすたると言って「高雄」という字を当てた。ところが蒋介石たちが入ってくると、この高雄を中国音で「カオシュン」と呼ぶようになった、というようなことをガイドが説明する。その辺の事情は、筆者も雑学として知っていたところだ。

寿山の上からは高雄の港が一望できる。この港は世界三大港湾の一つなのだそうだ。台湾の経済力がそれだけ高まったということなのだろう。ガイドが言うには、この港は横浜港をモデルにして作られた。そう言われれば似ていなくもない。似ているついでに、日本人たちはこの港の一帯を「山下町」と名づけたそうである。我々が昨夜泊った華王大飯店も昔は山下町の一角にあったわけだ。これにかぎらず、高雄をはじめとした台湾の町には、日本名のついたものがたくさんあったが、それらは日本人が台湾を去った後ことごとく廃止され、もとの中国名に戻ったそうである。

寿山の一角に忠烈祠がある。その参道に小さな石を敷き詰めたところがあった。そこを裸足で歩くと健康によいと言うので、みな靴を脱いでその上を歩いた。小生もその一人だったが、小石が足の裏に食い込んで痛くてたまらない。三歩歩くのが精一杯だった。

境内には実のなる木がいくつも植えられていた。蓮霧とかなんとか、それらの名をいくつか教えてもらったが、山を下りる頃にはきれいさっぱり忘れてしまった。


(蓮池潭)

免税店に立ち寄った後、蓮池潭というところを訪れた。名のとおり蓮をいけた池の中に二つの塔が立っている。そのひとつにはトラが控え、もう一つには竜が控えている。観光客は竜の口から入ってトラの口から出てくるという趣向だが、なにやら子供だましのようでばかばかしい。

ここで昼になった。我々は台南で昼食をとる予定だったので、バスを飛ばして台南に向かい、小一時間ほどして台南の朝代飯店というところに到着した。







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