壺齋散人の旅
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日本シャンソン館で出会った乙な老嬢たち




山、落、松の諸子と、今年は草津にドライブ旅行をした、運転はいつもどおり松子、しかも宿の手配から見物先まで彼が世話してくれた。

関越道を渋川伊香保で下り、伊香保温泉、榛名湖を経て草津温泉に向かう。途中渋川にある日本シャンソン館というところに立ち寄った。筆者がシャンソン好きなのを考慮してわざわざ選んだのだと松子はいうのだが、どうやら自分自身のためでもあったようだ。

街道沿いに二棟の瀟洒な建物が並んで立っている。中に入るとエディット・ピアフを始め懐かしいシャンソン歌手のレコードジャケットが陳列されている。シャンソンの曲を聞かせてくれるサービスもある。筆者は同行の諸士にぜひミスタンゲットを聞くように薦めた。男心をそそる歌声だからと。

二階にはイブ・モンタンらが着たというステージ衣装がいくつか飾られている。みな本物だそうだ。脇のほうにはリサイタル・ルームが設けられている。時折ここでシャンソンの演奏会を催すのだそうだ。

面白いところだと思って、館の来歴を聞いたところ、シャンソン歌手の芦野宏氏が私財を投じて作ったものだという。土地は細君の実家のものだそうで結構広い、建物のほかにモネの睡蓮の池まで再現している。もっともモネがなぜシャンソンと結びくつくのかはわからなかったが。

庭に下りて東亭に近づくと、一人の老夫人が我々を出迎えてくれた。うやうやしく腰をまげて、いらっしゃいませというので、筆者などはこの館の支配人かと思ったほどだ。

ところがそうではなかった。こちらから聞くまでもなく、自分から話してくれたところによれば、芦野宏の長年の弟子で、シャンソンが大好きだという。今日は芦野先生の歌を聞きにわざわざ能登から出てきましたのよ、明日は明日で音羽の椿山荘までいき、カラオケ大会に出るつもりですの、あなたたちもシャンソンがお好きでいらっしゃいますか、こんな調子で挨拶をされた。

ははあと、話をあわせていると、大の話好きと見えて、次から次へと話しかけてくる。自分の個人的なことまで話し出し、能登にお出での節は是非ランプの館にお立ち寄りください、わたしはこういうところに住んでおりますからと、館のパンフレットに自分の住所使命まで書いてくれた。なかなか達筆だ。

そのうちどうしたわけか、わたしの年齢を当てたらコーヒー代を支払って差し上げますと言い出した。女性の年齢は外見からはなかなか見当がつきませんというと、それではヒントをあげましょう、終戦の時の天皇陛下のお言葉を私もラヂオの前で聞いておりましたのよ、そのころの私はまだうら若い乙女でした、さあ見当がつきましたか、と続ける。

そこで筆者は自分の母親も終戦の年にはうら若い乙女でしたといった。何年のお生まれですかと聞くので、昭和四年ですと答える。すると、残念でした、わたしはもう少し早く生まれましたのよ、コーヒー代は御自分でお支払いになってくださいねという。

筆者は、自分もシャンソンが好きで、歌詞を日本語に訳したものをインターネットに乗せていますといった。すると老婦人は大いに興味を示し、それでは是非息子に頼んで見せてもらいましょうという、また他のお友達にも知らせてあげましょうといって、一時席を外すとやがて三人ばかりの老嬢を伴って戻ってきた。

みな先の老婦人に劣らず元気溌剌だ。筆者は彼女らの一人ひとりと握手を交わす羽目になり、あまつさえ、先生のお母さんはお若くして先生をお生みになったのねとか、これから芦野先生がお見えになるから、先生も一緒に芦野先生の歌を聞きましょうよとか、すっかり先生扱いされる始末。

そのうち当の芦野宏夫妻がやってきた。件の老婦人はうれしそうに近づいていくと何やら話しながら、時折筆者のほうを指差したりしている。筆者はすっかり恐縮して、そろそろ潮時だと感じ入った次第だ。

それにしても、旅先でこんな破天荒な老嬢たちとめぐりあい、他愛ない話にひと時を費やすというのも、なかなか乙なものだ。


(件の老婦人(中央)と芦野宏夫妻、同行の山子撮影)







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