壺齋散人の旅
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東九陵:ソウル滞在記その三




午後二時頃東九陵(トングルン)に至る。朝鮮王朝九代の王ならびに王妃の陵墓群なり。ソウルの東郊に位置することから東九陵と名付けらる。明の陵墓を下敷きにしたるものと思はるるなれど、明に比すれば規模はるかに小なり。

余らは九陵中元陵を訪ふ。第二十一代王英宗ならびに継妃の陵墓なり。

結構は頗るシンプルなり。巨大なる土饅頭を築きてその中に柩を収め、前面には祭祀のための施設を設く。墓の中に立ち入ることは予定せられてをらず。したがって出入口も設けられてをらざるなり。

日本の天皇陵の一部と似たるところもあり。最大の相違は見物人の接近を許すか否かにあり。韓国の王陵に余らが近づくことを得るは、王統が廃絶せらるることの効果といふべし。

聖域内には赤松の林展開せり。日本の赤松は松食虫によってほぼ全滅せしめられたれど、韓国はいまだしからず。方々に赤松林残りをるといふ。されば松茸をも豊富に産するなり。



ついで高麗人参の工場を案内せらる。日本人スタッフ出迎へて工場内を案内す。この日は日曜日にあたり操業してをらず。展示室に導かれて製品の購入を勧めらる。この会社にてはミネラル分に富む土壌にて六年かけて人参を栽培すといふ。それ以上経過すれば腐敗する由なり。ここの人参は二十数種類のミネラルを含み、日本の人参に比して効用多しと説明者胸を張れり。

午後四時近く高句麗鍛冶屋村なるところに案内せらる。映画のセット用に作られたるものにて、四世紀ごろの高句麗の村落を復元せるなり。余は韓流ドラマを見ることほとんどあらざれど、横子がいふにはこの種の景色はテレビで見たることありと。

その後ソウル市内にもどり、セブンラック・カジノなる賭博場へ案内せらる。余は日頃賭博に興ずること全くあらざれば、ただ人のゲームをなすを眺むるのみなり。そのゲームといへば、ルーレット、トランプ、バカラの類なり。ルーレットなどは、二倍、三倍、四倍、六倍、八倍、十二倍、二十四倍、三十六倍の確率に運をかけるゲームなり。当たる確率の方が低きゆえに、胴元は必ず儲かるといふ仕組なり。



ついで漢江の左岸を散策す。漢江は川幅広く東京の荒川ほどもあり。ソウルの街を南北に分断し、多くの橋架けられてあり。一角に浮船の如きものあり。イルミネーション施されて燦然たり。

対岸には小高き丘の上に鉄塔たちたり。丘は南山といひ、鉄塔はソウルタワーといふ。



右岸に戻って、その南山を登り、ソウルタワーの上よりソウルの夜景を一望す。ソウルの街は、上海の如くうるさからず、しかも高層ビルほどほどに配置されて、全体の印象は東京タワーより見る東京の姿に近し。

南海なる食堂にて夕餉をなす。豚肉を鉄板の上で焼くシンプルな料理がメインにて、そのほかはキムチ、海草サラダなど朝食昼食と全くかわらざるものを振る舞はる。振る舞はるといふよりあてがはるといふが正確なるべし。

仲居他の菜を注文すべしと頗る執拗なり。チジミなる名称のお好み焼き、生タコ、ユッケなどなり。殆ど食欲を覚えず。

主菜の貧困なるを別建てのメニューもて補はしめんとするはいかなる了見にや。

ビールを飲み終へて後マッコリを飲む。朝鮮風濁酒といふべきものなれど、聊か炭酸を含みたり。日本の濁酒よりはるかに甘し。







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