壺齋散人の旅
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山陽紀行(その四):浄土寺



(浄土寺山門)

食後バスに乗りて浄土寺を訪ふ。山陽道より直接石段を登るなれどその途中を山陽線貫通したれば線路を潜って石段を登るなり。上ること数級にして山門あり。この山門前はかの「東京物語」において老いたる笠智衆と若き原節子が肩を並べて海を見るシーンの舞台となりしところなり。我らは山門の内側より海の方向を見下ろしたり。

寺では折から本尊十一面観音像開帳せられてあり。寺男の案内によれば、当寺は西暦六一六年聖徳太子によって創建せられ今年は千四百年期にあたる由なり。それを紀念して本尊を開帳するなれどそれを参拝するには祈念料として千円を頂戴したしといふ。いくらご開帳といへども聊か高すぎといふべきか。なほこの本尊の開帳は各百年期のほか三十三年毎にも行はるる由。よって次の開帳は十八年後になる由なり。有難く思ひて尊顔を拝聴するに大いなる慈悲を感ず。この像別名を身代り観音といふなれば人をしておのづと慈悲を感ぜしむるも当然といふべきか。


(浄土寺多宝塔)

この寺は十一面観音もさることながら、本堂はじめ寺域内の多くの建物国宝指定されをる由なり。中にも多宝塔はその優美なる姿見るものをして恍惚とせしむ。その姿は高野山の多宝塔に似たり。この寺高野山よりは古き創建なれど、法隆寺の如き独自の宗派を持たず、真言宗の末寺に甘んずる由なり。


(西国寺山門)

山腹の道を歩み女学校の校門前を通りて西国寺に至る。ここも八世紀に遡る古刹にて、金堂・三重塔は重文指定されをる由。山腹に展開する山寺にして、山門より奥の院まで数丁の行程あり。山門には巨大な草鞋掲げられてあり。四国の石手寺を彷彿せしむ。草鞋は霊場巡りの象徴といふ。この寺もまた真言宗の寺なり。


(西国寺三重塔)

これらの寺を含めて尾道は街の規模に比して寺院の数きはめて多し。かつては八十数寺をかぞへ今なほ四十数寺を擁すといふ。真言宗の寺多きは山陽道の特徴を引き継ぐなり。その他に時宗の寺六か寺ありといふ。時宗の寺多きは山陽道と一遍上人のつながりの深さを物語るなるべし。とまれ尾道にて屋根の大きな建物は寺と思ひて間違ひなしといふ。

風俗店の連なる通りを歩みて海岸通に出で市役所前なる尾道映画資料館に入る。尾道を舞台にしたる映画を中心に資料を展示するものなり。もっとも念入りなるは小津の紹介にて、「東京物語」は無論全作品について紹介してあり。また試写室にては小津の業績を紹介するドキュメンタリー映画を放映す。一方尾道を舞台に多くの作品を作りし大林の紹介をなさず。いかなる基準によるやと聊か首をかしげたり。

宿に戻るに昨日とは別人の七十がらみの老嫗仲居を勤めをり。今日はどこに行かれましたか、と問ふゆゑ、午前は千光寺山に上り午後は浄土寺などを見ましたよ、と答ふるに、それはようございました、尾道はとても寺の多いところでございまして、大きな屋根を見れば寺と思って間違ひござりません、と言ふ。また映画美術館には行かれましたか、と問ふゆゑ、いま行って来ました、と答ふるに、それはようございました、尾道は多くの映画の舞台になっておりますので、それがもとで日本中に名が通ってございます、隣の福山や三原とは比べ物になりません、と言ふ。仲居ながら故郷自慢が楽しみと見えたり。

今日は一階の客室にて夕餉を供せらる。この夜の客はどうやら我らのみのやうなり。その客室からは海が間近に見ゆるうへに、折から満潮にて潮の激しき流れが壮大なる波紋を作りてあり。なかなかの見ものなりき。







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