あひるの絵本 |
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日御崎:あひるたちの日本旅行山陰篇 |
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出雲大社から日御碕にむかう途中、稲佐の浜という所を通りがかりました。 オオクニヌシノミコトが国ゆずりのために、アマテラスオオミカミの使者 タケミカヅチノミコトを、出迎えたとされる所です。 いまでも毎年、日本中の神様がこの浜にあつまり、 オオクニヌシノミコトの出迎えを受ける儀式が続いています。 旧暦の十月半ばに行われます。この月には日本中の神様が 自分のお社を留守にしますので、出雲地方以外では、 十月を神さまがいない月、神無月と呼んでいます。 ことしは、新暦十一月三日に神様たちがやってこられ、 十三日まで滞在されてらしたそうです。ですから、 来るのがもう少し早かったなら、あなた方も神様たちに お会いすることができましたのにと、ガイドさんが残念がってくれました。 稲佐の浜の少し先には、つぶて岩という小さな島が、海上に浮かんでいました。 これは、国津神のタケミナカタノミコトが、天津神のタケミカヅチノミコトと 力くらべをして、投げた岩だとされています。つぶてにしては大きすぎるので、 あひるたちは、これを投げた人はよほどの大男だったに違いないと、 思ったのでした。あひるに投げられるのは、 せいぜい、ポップコーンくらいですもの。 日御碕は、日本海に突き出た小さな岬で、 先端には絵にあるような灯台が立っています。 晴れた日には、対岸の朝鮮半島がよくみえるそうです。 オオクニヌシノミコトは、その半島の一部をけずりとって、 出雲のほうまで国引きをしたと、いい伝えられています。 あひるたちは、灯台の上まで上ってみましたが、海上には薄く霞がかかっていて、 残念ながら、半島をみることはできませんでした。もし、みることができたなら、 オオクニヌシノミコトのなさった仕事が、すこしは理解できたかもしれません。 |
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