あひるの絵本
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ラフカディオ・ハーン旧宅:あひるたちの日本旅行山陰篇



松江といえば、不昧公と並んで、
ラフカディオ・ハーンの名も忘れられません。
ハーンは、三十九歳で日本にやってくると、松江の中学校に就職しました。
そして、旧藩士の娘小泉セツと結婚して、小泉姓を名乗り、日本に帰化しました。
名の八雲は、あのスサノオノミコトが歌った、八雲立つ出雲八重垣という
言葉からとったものです。この歌がもとで、八雲とは出雲の枕詞になったのです。
生涯出雲を愛したハーンは、その名を自分の名にしたのでした。

ハーンが暮らしたという家が残っています。
むかしの武家屋敷がいまでも並んで残っている一角にあります。

あひるたちは、ここも訪ねてみました。お城のすぐ裏手に、
お堀に沿ってたっていました。この絵は、
旧宅のとなりに並んでたつ記念館を描いたものです。

松江は狭い町ですので、散歩はすぐに終わりました。あひるたちは、
バスの待っている広場までたどりつくと、お土産屋に入って、
地ビールを飲みました。えかきあひるは、地ビールを飲みながら、
出雲には、勇猛無双の英雄山中鹿之助がいたことを、思い出しました。
小さかった頃、講談の本でその活躍ぶりを読んで、とても感心したものです。
半月形のかぶとの前立を振りかざし、三日月に向かって、
我に七難八苦を与えたまえと叫びながら、次々と奇想天外な戦いに挑むその姿は、
河内の楠正成と並んで、日本の武将のお手本のような人です。
毛利に捕らえられたとき、下痢を装って厠に入り、肥溜めを潜って逃れた話は、
ユーモアにあふれています。

スサノオノミコトの子孫たる国津神が作り上げた土地柄ゆえに、
このような武将が現れたのでしょうか。







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