あひるの旅日記
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犬山城に登る:美濃・尾張の旅その四




郡上八幡に旅した翌日(六月十九日)、筆者らは犬山城に登った。朝早く旅館を辞し、昨日とは逆戻りして美濃大田に至り、鵜沼を経由して十一時頃名鉄犬山遊園駅についた。城はそこから歩いて十分ばかりの距離にあり、その途中に投宿先の名鉄ホテルがあった。

筆者が犬山城に登るのは初めてのことだ。一見したことはあった。もう三十年以上も前に、友人たちと下呂温泉に遊び、その帰りにライン下りをしたことがあったが、その船の中から城の遠景を眺めたのだった。川沿いの小高い丘に、屹立している城の姿が、遠目にも格好良く映った。

犬山城は国宝指定の四城のうちのひとつである。十五世紀の半ば頃から築城せられ、最終的に現在の形にしたのは尾張家の付家老成瀬正成である。時に元和三年のことであった。以後成瀬氏の居城として明治維新を迎えた。その後もつい最近まで、成瀬氏の個人的な財産であった。現在は財団が管理している。

構造は三層四階、狭くて急な階段を登りつめると、最上階から木曽川の悠然たる流れを見下ろすことができる。

城を降りると、麓には城下町が広がっている。筆者らはその中の「からくり展示館」というところに立ち寄った。犬山は飛騨高山と並んで、からくり人形を用いた山車の行列で有名なところなのだ。

展示館ではからくりの実演を交えて、人形の動きについてきめ細かく解説していた。また付近にある文化資料館には、祭に使う山車が展示されていた。ここの山車は高さが八メートルもあり、三階建てになっている。一階は囃し方、二階は人形遣い、屋上階は人形の晴れ舞台といった構造だ。

晴れ舞台を下から眺め上げると、たいそう高く感ずる。そこにからくり人形をすえて、様々な動作をさせるわけだ。人形を動かす人は四五人で、足元から糸を操ることで人形を動かす。人形の顔は能面の様式を踏襲しているので、見る角度によって様々な表情を呈する。人形の命はやはり顔なのだ。

関東地方の多くでは、いまや祭りで山車を引くところは少数派になってしまったが、中部地方以西ではいまだに山車が中心であり続けているわけだ。

昼餉にはキシメンを食った。うどん粉をひらべったく伸ばしたものだ。笊に盛って、たれで食ったらなかなかうまかった。







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