あひるの旅日記 |
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熊野本宮と谷瀬の吊橋:紀伊半島の旅その五 |
![]() 三日目の朝、旅館から船に乗って対岸に渡り、そこからバスで熊野川を遡り、熊野本宮大社に向かった。この流域もまた昨年の水害の跡があちこちに見られた。 熊野本宮は小高い山の上にあった。もともとは熊野川の中州にあったが、明治22年の大洪水で流失したため、明治24年(1911)に現在地に遷座したという。よって昨年は、遷座120年祭を挙行したそうである。 熊野本宮は別名を熊野座神社といい、祭神は熊野座大神である。熊野座大神の正体は諸説あって定まらないが、八咫烏を使者としているところから太陽神であるとする説が有力らしい。 その八咫烏だが、古事記には、八咫烏を神武天皇の前に遣わして、熊野から吉野へと先導させたのは高皇産霊尊ということになっている。三本足のイメージで表されることが多い。この神社でも、三本足の烏をあしらった大きな旗が鳥居の横にたなびいていたほか、本殿の脇にも大きな石碑がたっていた(上の写真) 鳥居の先に長い石段が通じていて、それを渡ると本殿が見えてくる。この日はたまたま神事が行われていて、神職や修験者たちが拝殿の前にかしこまっていた。面白いのは、僧侶も一緒に行事に列していたことだ。はじめは面食らったが、権現社なればの光景だと納得した次第だ。 ![]() 傍らの説明書きには、拝殿の屋根の修復が無事終了したとあるから、この神事はそれを祝ってのことかもしれない。神事自体は至って簡素なもので、それが終わると、修験者が法螺貝を吹き鳴らしながら、石段を下りていった。 熊野本宮の付近には、小栗判官が生き返ったという湯の峰温泉があるはずだが、今回は見ることができなかった。小栗判官は、藤沢で地獄から蘇ったのであるが、蘇った当初は目も見えず、耳も聞こえず、又口もきけないゾンビ状態であったものが、人の手によって熊野に運ばれてきて、湯の峰の温泉に浸かったとたん、正常身に戻ることができた。この話には、らい病患者の救済が、テーマとして盛り込まれているのだと思われる。 ![]() 熊野本宮を辞して後、十津川の渓谷を遡り、谷瀬と言うところに至った。深い谷を跨ぐようにして大きな吊橋が架かっている。高さ50メートル、長さ297メートルといい、いまでも地元の生活用に使われているという。つまり村道だ。 バイクで往復する住民もいるというから、丈夫に作られているのだろう。 さてこの橋を、みんなで渡ろうというのだが、深刻な高所恐怖症である筆者には、とんでもないことだ。そこで他の人が吊橋を渡っている間に、筆者は橋詰の売店で缶ビールを買い求め、持参してきた弁当を食った次第だ。筆者のような高所恐怖はほかにもいると見えて、橋を渡らずその辺をぶらついている者が二三いた。 |
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