あひるの旅日記
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伊豆長岡温泉につかる:伊豆長岡の旅その一




この(2013年の)正月に、あひるの仲間たちと新年会を催した時、今年の夏は東北の祭を見て回ろうということになり、その後旅行会社のツアーを予約したまではよかったのだったが、どういうわけか、なにかの手違いで、人数分の部屋が用意されていないことがわかり、キャンセルに追い込まれた。そのかわりに、といってはなんだが、静ちゃんあひるが段取りをし直して、伊豆長岡の花火を見に行こうということになった。

こんなわけで、新年会に集まったメンバー五羽(静ちゃんあひる、少尉あひる、横ちゃんあひる、今ちゃんあひる、そしてえかきあひること筆者)が、東京駅の新幹線乗り場に八月三日の午後一時に集合し、一路三島を目指して進んだ次第であった。新幹線の車内では、五羽が通路を挟んで一列に並び、買い出した弁当をつまみながら缶ビールを飲んだ。季節柄車内は結構混雑し、子供連れの客も多い。

三島駅で降りた後、伊豆箱根鉄道に乗り換えて、三十分ほどすると伊豆長岡に着く。駅から旅館までは歩ける距離ではないといわれ、タクシーに分乗した。なるほど、タクシーでも十分以上かかったから、歩いたら一時間はかかったかもしれない。車内タクシーの運転手の話では、伊豆長岡は起源の古い温泉で、源氏山という小高い丘を挟んで東西に分かれているそうだ。賑やかなのは駅から遠い西側の温泉街の由。我々の投宿先二葉旅館は、その西側の温泉街の、源氏山の麓にあった。

チェックインしてから夕食までは十分に時間があるというので、付近を散策しようということになったが、宿の人にどの辺がいいかと訊いたところ、源氏山の周辺に七福神の寺が散在しているので、七福神巡りなどはいかがと勧められた。そこで一同健脚をたのんで山登りとあいなった次第だった。

まず、旅館前から伸びている石段を登って、あやめ御前をしのぶ石像というのを訪ねた。あやめ御前とは源三位頼政の妻となった女性で、伊豆長岡の里に生まれたのだが、頼政が栄華の果てに清盛によって殺された後は、生まれ故郷に舞い戻って余生を過ごし、天寿を全うしたということだ。享年89歳というから、その時代にしては大変な長生きだったわけである。

その後、源氏山頂上の展望台に上り、伊豆長岡の市街を一望する。市街は狩野川の削った狭い谷に沿って広がっている。こないだ行った湯布院や黒川温泉なら湯煙が上っているところだが、ここでは煙はないかわりに、生暖かい霞のようなものが、市街に垂れ込めているばかりだ。

毘沙門天と弁財天を訪ねながら、山の反対側に下りた。そこから旅館へ戻るには、先ほどタクシーに乗って通りすぎた道を、今度は歩いていかねばならない。折からの炎天下を大儀なことではあったが、途中拾うべきタクシーもなく、ひたすらに歩いた。それでも、コンビニで買い求めた氷菓子を舐めながら歩くほどに、程なくして宿に着いた。

ちょっとした運動をして汗をかいたというので、温泉がすこぶる気持よい。ここの温泉は特色のない単純泉で、味もそっけもなかったが、それでも汗をかいた体には湯が沁みて心地よいというわけである。

温泉からあがると、ビールを飲みながら無駄話に興じた。なんといっても風呂上がりのビールは最高だ。ビールが喉元を過ぎる一瞬に生きていることの至福の喜びを感じる。この喜びがあるからこそ、人間というものは生きることに意味を見だすことができるのだ。口腹の喜びが無かったなら、生きることとは何と味気ないものかと。

口腹の喜びの第一弾に続いて、第二段の喜びたる夕食が始まった。会場は階下の小部屋である。そこに、夏だというのに炭火の支度を整え、それで炭火焼をしようというのだ。冷房が効いているとはいえ、目の前で炭が真っ赤な火を立てているのを見ると、どうも場違いな気がしないでもないが、新鮮な魚介を網に乗せて焼くと、これがまたうまい。夏の炭火焼きも棄てたものではないなどと勝手なことを言いながら、みな舌鼓を打った次第だった。

ところで今夜泊る部屋は、三間続きになっていて、日本流のスイートルームと言ったところだ。そのうちの一番大きな部屋にオスが四羽枕を並べ、その隣の一回り小さな部屋にメスの枕を用意しようということらしい。こんな風に、男女が一つ部屋に寝かされるのは、珍しいことだ。だがそれなりに風情がある。(写真は、源氏山から一望した伊豆長岡市街)







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