あひるの旅日記
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舞鶴・宮津:若狭・三丹の旅その一




例のあひるの仲間とは、昨年の秋に木曽路を旅したところだが、今年の秋は若狭・三丹地方の紅葉を見る旅をしようということになった。三丹というのは、京都の後背地である丹波、丹後、但馬三国の総称である。若狭から丹後に入って宮津に一泊し、二日目は経が岬・天の橋立・出石の城下町を見物して城崎温泉に一泊し、三日目は天空の城として名高い竹田城に登ったあと、丹波篠山、京都嵐山の紅葉を見物して回るというツアー旅行に便乗した次第だ。今回は、ミーさんあひるが数年ぶりに参加したほか、おおさんあひる、しずちゃんあひる、あんちゃんあひる、よこちゃんあひる、いまちゃんあひる、それとえかきあひること小生の、合せて七羽が参加した。

十一月二十七日(木)早朝、東京駅日本橋口のコンコース広場に集合し、旅行会社の添乗員に案内されて七時五十六分発の新幹線こだま号に乗る。先日古い友人たちと京都旅行に行った時と同じ列車だ。その折にはグリーン車に乗ったが、今回は普通車だ。

車中小生はしずちゃんあひると同席したので、共通の趣味である能のことなど話すうちに、先日小津安二郎の映画を見ていたら、梅若万三郎の舞台が出てきて、その中で地謡が十人いたという話をした。すると、しずちゃんあひるは早速謡曲仲間にメールを打って、地謡の数の変遷について問い合わせをしたのだった。その仲間は小生もよく知っている男で、能のことなら非常に見識がある。その男がメールで返事して寄越した内容というのが、地謡の数は三人乃至十二人の範囲で太夫がその都度決めるとのことであった。こんなことがことさら問題になったのは、地謡は八人だと、二人が思い込んでいたためであった。

ところで、小生としずちゃんあひるが師事した能楽師は梅若系の某シテ方である。梅若は今回我々が旅する丹後の能楽の一派で、大和四座とは別の流れであったが、徳川幕府によって観世流に統合されたのだった。その後、明治に入って独立を画策したがうまくいかず、再び観世流に身を寄せたという経緯がある。そんなことから、同じ観世流の中でも、多少独自の雰囲気を持った流派なのである。謡い方は、音楽的と言われる観世本流に比べて一層音楽的なことが特徴だ。

十一時頃岐阜羽島駅で下車し、迎えの観光バスに乗り込む。これから若狭方面に向かうのに何故岐阜で下車するのか、多少ひっかかるところが無いでもなかったが、何しろエコノミーツアーのことだから、あまり詮索するのは酷に過ぎるかもしれない。ともあれバスに乗り込んだツアーの相客は総勢三十四名ほどだったから、そんなに窮屈な思いをせずにすみそうだ。

賤ヶ岳のサービスエリアで休憩し、敦賀インターで高速を下り、午後一時過ぎ敦賀湾に面した食堂で昼食をとる。ここでかき揚うどんと地ビールを注文したところ、ビールは何になさいますかと聞き返すので、地ビールを下さいと重ねて答えた。すると地ビールに三種類ありますという。何と何と何があるのかと聞けば、飲みやすいのと味が濃いのと味が淡泊のと三種類だと言うので、それでは一番飲みやすいのにして下さいと言った次第だった。ビールの味もよかったし、うどんの味もよかった。

午後三時四十分頃、舞鶴の赤レンガ倉庫群というところに立ち寄った。これは、舞鶴の旧海軍基地の一角にあり、弾薬などの軍装品を保存するのが目的のものである。よって、横浜の赤レンガ倉庫などに比べると、ずっとものものしく出来ているそうだ。横浜の倉庫は生糸の保存を目的とした民生用倉庫だから、デザインもシンプルで実用的だ。

ところで、旧海軍基地は海上自衛隊に引き継がれ、現在も軍港として機能している。港の一角に三隻の軍用船の停泊している姿が見えたが、そのうちの一隻はイージス艦だそうだ。北朝鮮や中国に対する防衛の最前線といったところか。もしも、中国との間で戦争になれば、ここは第一線基地となり、従って真っ先に攻撃の対象となるにちがいない。

この軍港のあるあたりは東舞鶴という。これに対して湾の反対側の西舞鶴には民生用の港があって、戦後は引揚者が日本に上陸する拠点となった。海外からの引揚者はすべてこの港に上陸し、そこから日本全土に散らばって行ったわけである。その数六十数万人という。

赤レンガ倉庫を見物した後、北近畿タンゴ鉄道というのに乗った。四所という無人駅から乗車し、由良川沿いに北上して日本海に出、海岸沿いを西へ向かって栗田と云うところで下りた。この由良川一帯にはかつて由良荘という荘園があって、山椒大夫が経営していたところとして有名だ。その山椒大夫の無慈悲ぶりと、その犠牲となった安寿と厨子王の悲しい運命は、説経節や森鷗外の小説が描いているとおりだ。

夕闇の深まる頃、宮津のロイヤルホテルに投宿した。これは宮津湾に縦に突き出るようにして立っているので、どの部屋からも海が見える。もっとも、投宿した時には周囲は闇に包まれ、海景を楽しむことはできなかったが。

晩餐の席上、メンバーは久しぶりの再会を喜び合った。あひるのメンバーも次第に歳をとり、もはや旅行もままならない者も出て来た。そんな中でこうして旅が楽しめるというのはありがたいことだ。ミーさんあひるなどは、長い間患って旅もできないでいたのを、今回は八年ぶりに旅を楽しめるといって大いに喜んでいた。

晩餐後は小生らの部屋で二次会を催した。昼食会場で買い求めたイカの塩辛を肴に赤ワインを飲んだが、この塩辛がまた実にうまかった。これなら自分用に買い求めてもよかったなどと、小生は後悔した次第であった。







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