あひるの旅日記
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あひるの北陸の旅その一:飛騨高山の春祭を見る




今年のあひるの新年会の席上、幹事役の横ちゃんあひるに、今年の春の旅行の計画はどうなっているかね、と聞いたところが、帰ってくる返事が一向に要領を得なかったので、静ちゃんあひるに応援を頼んだのだったが、そこは静ちゃんあひるのこと、てきぱきと要領よくことを運び、北陸地方に一泊の温泉旅行を計画してくれた。かくして我々あひるの一族は、今年の春も楽しい旅を楽しめることとあいなった次第だった。参加したあひるは、絵かきあひること小生及び静ちゃんあひるのほか、オーさんあひる、少尉あひる、あんちゃんあひる、それに横ちゃんあひるを加えた六羽だった。常連の今ちゃんあひるは、仕事の都合がつかなかったとの理由で、参加しなかった。

旅の計画といっても、そんなにこむつかしいものではない。旅行会社のツアーに申し込んだだけのことだ。そのツアーとは、新宿から特急に乗って松本まで行き、そこから北アルプスの鞍部を山越えして飛騨高山に抜け、高山の春祭を見物した後、越中の砺波温泉に一泊する。翌日はバスに乗って五箇山を訪ねた後、金沢市街を散策し、富山から北陸新幹線に乗って東京へ戻るというものだった。そんなわけで我々あひるの一行は、四月十四日の午前七時半頃、ツアーの集合場所たる新宿駅南口で落ち合った次第だった。このツアーは人気の高山の春祭を織り込んでいるとあって人気が高く、同行のツアー客は四十人を超えたそうだ。

ツアーは、新宿発八時丁度のあずさ号に乗って出発した。昔はあずさ二号といった列車が、今はあずさ五号に変っているが、旅の醍醐味は変わらない。列車は八ヶ岳やら甲斐駒の山陵を左右に見ながら進み、十一時近く松本に到着した。列車の中で小生は、缶ビールのロング缶を飲みながら朝飯代わりのサンドイッチを食っていたが、談笑のなかでどういうわけか女優の樋口某女が話題に出た。あんちゃんあひるがファンなのだそうだ。その女優なら若い頃ヘアヌードを見て感心したことがあるよ、と小生はサンドイッチを頬張りながら言った。たしか、ヘアの一本一本を、毛穴が見えるくらいに大胆にアップしていた、よく覚えているよ、そう小生が言うと、あんちゃんあひるは、自分にはそんな記憶がないという。もし彼女がそんなヌード写真を公開していたのなら、彼女の大ファンだった自分が覚えていない筈がない、そう言うのだ。あたかも小生の記憶が間違っていると言いたいようだ。そこで小生は、それはファンの僻目だと思うよ、と言ってやった。

松本から乗ったバスが北アルプスの鞍部を超える時、ヘアピンカーブの連続で、バスがすさまじく揺れた。その揺れのために、最近乗物に弱くなった小生はすっかり酔っぱらってしまった。小生は子どもの頃から乗物に弱く、すぐに酔ってしまう体質だったのが、成人して以降はあまり酔わずにいたところを、年を取ってから再び酔いやすくなってしまったのだった。そんなわけで、支給された弁当が喉を通らない始末だった。

飛騨高山へは午後一時頃に着いた。市街の北外れにある北山別院と言うところにバスを停めて、添乗員嬢に案内されて市街に繰り出した。高山市街は折から春祭の真っ最中だ。高山の祭は春と秋の二度にわけて催され、春の祭は毎年四月の十四・十五の両日に渡って行なわれる。十二台の屋台が参加し、そのうち四台が御旅所でからくりの披露をする。この祭は飛騨日吉神社の祭礼で、祭の期間神社の本体が市街の赤塗の橋詰めにある御旅所まで出張るのである。



我々はまず、神明神社の参道に赴き、そこに据えられた八台の屋台を順次見物した。屋台の作りは、上下に長く、京都の祇園祭の屋台よりはずっとほっそりとして背が高い。おおよそ三層構造になっていて、中層の部分の先端にからくり人形が据えられている。京都の屋台の最大の見ものは腰に張られた織物なのにたいして、ここの屋台がからくり人形を売り物にしているのはいうまでもない。飛騨高山の祭といえば、からくり人形の繰り広げるパフフォーマンスが命といえるのだ。



そのからくりの奉納は、午後三時から御旅所の前の広場で行われた。我々はその近くの喫茶店で一休みした後で赴いたが、行って見ればすさまじい人だかりができていて、とても屋台の近くまで進めない。それでもなんとか工夫をしてからくり人形のパフォーマンスを堪能した。この日は、三代の屋台がそれぞれ、三番叟、石橋、龍神を按配したからくりを披露した。そのうち、三番叟は子どもらの演じる鼓の音にあわせて三番叟の人形が舞い、石橋のほうは長唄にあわせて獅子の舞が披露された。その獅子の舞というのが、獅子の頭が僧侶の尻から顔を出す工夫になっている。明治の初年には、この工夫が卑猥だからというので禁止され、戦後復活した経緯があるという。禁止したお上の役人はおそらく土地の者ではあるまい。土地の者ならそんな無粋なことを言うはずはない。



屋台やからくり奉納はともかく、ところどころに大きく花を拡げた桜が素晴らしかった。桜の他にも、木蓮やら辛夷やら杏子やらが一斉に咲いている。関東なら咲く時期が異なる花々が、ここでは一斉に咲いている。そこがなんともいえない素敵なところだ。

からくりの奉納を見た後、古い街沿いの眺めを堪能しながらバスのいる所へ戻った。途中巡幸の行列に出会った。みな徳川時代の装束に身を包み、鐘を鳴らしたり笙を吹いたりしながら進んで行く。なんとものんびりした眺めだ。この祭を見ると、このあたりは京都の文化圏にあるとはいえ、土地なりの独自性を豊かに育んできたという印象を持たされる。

漆器を売る店で少尉あひるが什器の小物を買った。ここの漆器は春慶塗と言って、輪島塗ほどではないが、全国ブランドの人気を誇ると言う。小生もなにかいいものがあったら買おうかと思い、目に留まった小さな茶筒の値札を見たところがそこそこの表示だった。そんなに高くはないが、そんなに魅力を感じたわけでもなかったので、買うまでには至らなかった。静ちゃんあひるは小物の手ごろな値段の塗り物を買った。

投宿先は、越中の西の外れにある砺波野温泉。高原のど真ん中に立っている一軒宿だ。宿といっても洋風の巨大な建物で、近代的なリゾート・ホテルといってよい。ここで風呂に浸かり夕食を楽しんだのだが、ほかのあひるはともかくとして、小生は昼の酔いがぶりかえして、食事もまともに喉を通らず、ビールを飲めばげっぷが出てくるで、なんともなさけない状態に陥り、旅の夜を楽しむどころの騒ぎではなかった。そんなわけで、ほかのあひるには味気ない思いをさせてしまったかもしれない。年はとりたくないものだ、としみじみ感じた次第ではあった。







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