あひるの旅日記
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台南観光:アヒルの台湾旅行その三



(延平軍王祠)

昼食後、赤崁楼という史跡に立ち寄った。17世紀中ごろ台湾南部を占領したオランダ軍によって建てられたもので、レンガの色にちなんでこの名がつけられたという。そのしばらく後、鄭成功がオランダ軍を駆逐し、この町を承天府と名づけて台湾政治の中心とした。敷地の一角には鄭成功がオランダ軍と対峙しているところをあらわした銅像が立っている。そういえば、鄭成功の銅像は高雄のホテルのロビーにも立っていた。鄭成功は、台湾の中でも特に南部で人気が高いということなのだろう。

このあたりには、大王椰子と呼ばれる背のひょろ長い椰子が多数生えている。ふつうの椰子は年毎に、幹に横筋の年輪を刻むというが、この椰子は生長が早いので季節ごとに年輪を刻むという。それ故、年輪四筋で一年をあらわすわけである。

ついで台南の繁華街に建っているハヤシ百貨店を訪れる。日本統治時代に作られた建物がそのままに残っているものだ。この百貨店は、台北のキクモト百貨店と並んで、日本統治時代の台湾を代表するデパートだったそうである。いまでも、みやげ物を中心に商いをしている。五層のクラシックな外観を持ち、買い物よりも建築様式に、人をひきつける力を残しているようだ。

続いて延平軍王祠に立ち寄る。鄭成功を祭ったところである。本殿に隣接して小さな公園があり、その一角に果物ジュースを売る店があった。そこでマンゴジュースを飲んだが、これがなかなかうまかった。というのも、熟したマンゴの実を客の見ている前で絞って出すので新鮮なのだ。今朝高雄のホテルで飲んだマンゴジュースは、果汁を砂糖水で薄めたような感じだったが、これは濃厚な味だった。

隣のテーブルに地元の年寄りが腰掛けていて、我々の同行の女性にしきりに話しかけている。そのうちに歌を歌いだしたので耳をすませてみると、「大阪しぐれ」だった。どうも、その女性が大阪から来たと聞いて、サービスのつもりで歌ったらしい。ガイドが言うには、このあたりには日本統治時代を懐かしむ老人が結構いて、日本からの観光客を見かけると、積極的に話しかけてくるのだそうだ。


(台南の孔子廟)

今日最後は孔子廟。台北の孔子廟などとは異なり、地元の人々の厚い信仰心に支えられているという印象を持った。祭壇の前に細長いマットがいくつも置かれ、人々はそれに膝をつきながら、繰り返し礼拝する。また、祭壇の向かい側には読経用の壇がしつらえられていて、人々はそこの座席に座りながら、香を焚き、お経を読む。読経は仏教の専売特許だと思っていたが、儒教でも行うらしい。

孔子廟から新幹線の台南駅に向かい、午後4時49分発の台北行に乗る。ガイドの蔡さんは、ここで我々と別れて高雄に帰った。これからもうひとつ仕事があるのだそうである。この人、今年70歳になったというが、年を感じさせないくらいに元気だ。60を過ぎて日本語の勉強を始めたのであまり流暢には話せない。たとえば「はたけ」ということばを、文脈の如何にかかわらず常に「ばたけ」と発音すると言った具合だ。しかし熱心さがそれをカバーしておつりが来るくらいで、少しくらいおかしい日本語でも、聞いているほうは気にならない。

6時半頃台北駅に到着すると、やはり蔡さんという名の女性がホームまで迎えに来ていた。この女性に先導されて、夕食の会場に赴く。梅子という食堂だ。これは「メイツ」ではなく「うめこ」と発音するように、日本人相手専門の食堂らしい。だだっ広い空間には夥しい数の人々が食事をしていたが、恐らくすべて日本人だったろう。以前、アヒルのメンバーで台北旅行をした折にも案内されたことがある。

夕食後、松江通りと南京通りの交差点に近い馥華商旅というビジネスホテルに投じた。夜半ウィスキーを飲みつつ歓談したのは昨夜の通りである。







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