あひるの絵本 |
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出石:あひるたちの日本旅行山陰篇 |
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因幡の国をあとにして、あひるたちを乗せたバスは、出石にやってきました。 但馬の国の山間にある、小さな城下町です。 その昔、新羅の国の王子アメノヒボコが、逃げた妻を追いかけて、 日本までやって来てから、落ち着いたところとされています。 その当時、但馬地方は、瀬戸内海につながる入江の奥にあったということです。 ヒボコとその族は、日本人に製鉄の技術を伝えました。 そのおかげで、農具や剣を、頑丈な鉄で作ることができるようになりました。 神功皇后は申すに及ばず、聖徳太子の時代まで、 この国と対岸の半島には、人の交流があったのです。 中世には、あの応仁の乱を引き起こした山根宗全が、 この地を根拠地にしていました。宗全は西軍の大将として、 数万の軍勢を率い、ここから京に攻め上ったのです。 あひるたちは、一軒のおそば屋に案内されました。 ここのおそばは、皿そばといって、少しずつ小皿に盛ったそばを出されます。 出雲の割子そばもおいしかったですが、ここのおそばは腰があって、 もっとおいしく感じました。あまりおいしいので、 あひるたちは、何回もお替りをしました。もちろん、ビールも飲みましたよ。 食事のあと、みなで街の中を見物して歩きました。 江戸時代からの小さな城下町の面影が、まだ色濃く残っていて、 とても雰囲気のよい街です。目抜き通りの一角には、時の鐘が立っています。 絵にあるように、ずんぐりとして、あまり高くはありませんが、 街がそう広くはないので、鐘の音は、街中くまなく鳴り響いたでしょう。 通り沿いの商家は、昔ながらの作りの家が、多く残っていて、 その中で、土地の名物が、お土産として売られていました。 ヒボコの子孫のタジマモリが垂仁天皇の命を受け、 常世の国から時じくの橘の実を持ち帰ったとされるように、 出石は、お土産の発祥の地なのです。 |
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